泉水みちるさんの『底辺声優の所感』を読んで思うこと

泉水みちるさんの「底辺声優の所感」というブログの記事が話題になっている。自称底辺声優だった泉水みちるさんが声優を辞めることを決断した理由について赤裸々に綴られた文章で、Twitterでは15,000リツイートを超えてトレンドにも載っている。

元声優が書いた記事だが、むしろ声優ファンよりも一般の人にたくさん拡散されているように感じる。様々な人が記事に対して意見をSNSやブログなどで書いている。本当は22/7の記事でも書こうかと思っていたのだが、話題になっていたのでこのブログでも「底辺声優の所感」を読んでの感想を書きたい。

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泉水みちるさんが声優を諦めた理由

ブログには泉水みちるさんが声優を諦めた理由はいくつか書かれている。まずそれを見ていきたい。

声優を目指すことに疲れた

まずは声優を目指すことに疲れたということを「消耗戦」という言葉を使って書いている。オーディションのためにバイトを休まざるを得なかったり、演技以外でも特技を身につけるために色々な習い事をしたり、ということに疲弊したと語られている。

また声優の「キャラクター化」にも触れて

キャラ作りはタレントにとってよくあることであろう。しかし、それによってタレント本人の人格や思想が抑圧されてはいないか?「こういうキャラで売っているから」と、本人が「キャラの奴隷」と化していることはないか?

と声優のキャラ作りに対して警鐘を鳴らしている。

声優の場合はオタに好かれるキャラクターというのは大抵決まっていて、代表的なのはポンコツ、ぼっち、百合などだろう。オタクと同じ属性を持っていることをアピールすることで親近感を感じてもらい、ファンを増やす営業手法である。

だけど最近は、花守ゆみりや藤田茜などの例が挙げられるが、声優の方からアイドル性を否定することも増えてきており、声優のキャラクター化に関して一時期のような画一性や奴隷化はないように感じている。最近はむしろ思ったことを素直に表現する声優の方が好まれているようにすら思う。

習い事に関しては門外漢の私が言うのもなんだが、本末転倒というか、それをして本当に意味があるのだろうか。ただ泉水みちるさんの特技は文才だったのではないかと思った。ブログの記事は読みやすいし、長い文章でも読ませる力があると感じた。最近はコラムや小説を書く声優もいるので、アピールする場があれば武器になったような気もするのだが。

次の文章はすごく共感してしまった。

そして、もうWikipediaでいろんな声優を調べて「この人は〇歳でデビューしたから自分もまだ大丈夫だ」という確認作業をしなくてもいい。あの作業はなんだったんだろう。自分とその人たちは、生まれた年(社会情勢)も家庭環境も性格も所属事務所も得意な役柄も経験も能力もなにもかも違うのに、ただデビューした年齢や役をつかんだ年齢ばかりを気にしていた。そんなことで、いちいち安心したり嫉妬したり不安になったり、本当に不毛な時間だったと思う。でも、なにか確証がほしかったのだ。「まだ大丈夫」という証拠、保険、担保が。それがまったく無意味だとわかっていても、すがった。精神衛生を保つために。

私も無駄な行為だと分かっていながら、似たようなことをついやってしまう。自分に可能性がまだあると信じていたい気持ちがそうさせてしまうのだろう。

資金不足

他には声優活動にはお金が必要だったことも挙げられている。レッスンやワークショップやイベントのチケットノルマなど様々な出費があり経済的な不安があったと語られている。また声優として売れたとしてもいつまで続けられるかの心配がつきまとっていたらしい。

ブログにも書かれているが、声優は金持ちの息子や娘の趣味のような側面は実際ある。声優の自宅写真などを見ると、みんな金持ちだなあと思うし、声優には社長令嬢や著名人の子供も多い。それはダメになる可能性が高いから、命綱がある人しか飛び込みにくいためだろう。

ただ声優に限らず、実力勝負の仕事はどれもその側面はある。芸能に限らずスポーツ選手だって同じで、才能がなければそれまでの努力や投資が無駄になる。ただその代わり、売れたときの稼ぎや名声は一般的なサラリーマンとは比べ物にならない。ハイリスクハイリターンな職業を選んだのだから仕方がないとも言えなくはない。

ただ最近の養成所ビジネスなどは醜い。声優としてデビューできる可能性が限りなく低いのに甘い言葉で誘うような養成所や専門学校も存在していて、声優志望の人にはちゃんと調べて進路を選んでほしいとつくづく思う。金銭だけでなく、先日も声優の卵にいかがわしい行為を迫った社長が逮捕されていた。

泉水みちるさんの新たな夢

正直なところ、ここまでの内容であれば別にバズらなかったのではと思う。話題になっているのは、実はこの先の方が大きいのかもしれない。

泉水みちるさんは、声優を辞める準備のために大学に通うことにした。社会人入学を目指したが年齢が低すぎて、まず短大に入学し、その後四年生大学への編入を考えているらしい。そして短大で勉強するにつれ、学問は楽しいと感じ、現在は研究者を目指しているようだ。

問題はここである。私の意見を書こうと思うが、私の経歴も書かずに一方的に書くのもアンフェアだと思うので、ブログでははじめて書くけど、一応私もPh.D.を持っていて、今は(少し私の場合は特殊な立場なのだが)研究者の下っ端をしている。私は理系なので、心理学専攻のことはそんなに詳しく知らない。だけど研究者、ましてや文系の研究者は(たぶん声優よりも)圧倒的に厳しいと思う。

理系のアカデミックも厳しい。ほとんどの人は途中で諦める。ただそれでも、理系は私のような人間もまだ一応しがみつけているので、きっと文系に比べたらましな方なんだと思う。文系の博士課程は破滅への道と言われる。その上にアカデミックに残ろうと思ったら、並大抵の努力では無理だ。「研究者になれたらいいなあ」くらいの考え方では路頭に迷う羽目になってもおかしくない。

また給料も少ない。芸能界はハイリスクハイリターンと書いたが、研究者はハイリスクローリターンだ。本当に好きな人じゃないと残るべきじゃないと思う。私も本気で雀の涙ほどのお金で糊口を凌いでいる。アカデミックに残れても、声優を目指していた頃のように貧窮に悩まされると思う。

結婚に一切興味がないというのは研究者に向いているかもしれないが、率直に言って、一年勉強して楽しいなと思っただけで目指すには、あまりに高い山だと思う。申し訳ないが、高尾山にハイキングした人がいつかはエベレストに単独登頂すると言っているような印象しか受けなかった。

もちろん研究者を絶対に目指すなというわけではないし、彼女には絶対無理だと言うつもりもない。でも声優を上記の理由で諦めた人が目指して大丈夫なのかなという気持ちが老婆心ながら湧いてきてしまった。たぶん彼女も茨の道であることを認識しているとは思うので、ただのクソ意見かもしれないが、まあ私も「所感」ということで感想を書かせてもらった。

引用元は『底辺声優の所感』から

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